当宿、入ってすぐの部屋は荷物置き場兼書庫となっていて、宿主の家にあった本を持ち込んでいます。
ガイドブックやエッセイ本やマンガなどですが、主に旅関係のものを置いています。これから、このブログでその所蔵本「ねこばやし文庫」の本を紹介していきたいと思います。
まず、「旅の情報誌 とほ」を紹介させていただきます。
今は宿泊先を探すときにはネットで調べると思うのですが、私が一人旅を始めた30年前はガイドブックが頼りでした。当時は北海道が一人旅の聖地みたいな感覚で、いろいろな形態の宿がありました。
昭和40年代、「キスリング」という横幅の広いリュックを背負い、国鉄の周遊券を使って北海道を旅して回る「カニ族」という若者たちがいました。(リュックを背負う姿がカニに似ていたから?)彼らは野宿したり、ユースホステルに泊まったりしました。もちろん今でもあります。
その後北海道の路線は廃止が相次ぎ、国鉄は分割民営化されJRになりました。昭和50年代になると日本にバイクブームがやってきて、北海道を回るライダー達が増加しました。彼らは「ミツバチ族」と呼ばれます。「ユースホステル」は長旅するには値段が高いし、規律も厳しめ(禁酒だったり、就寝時間が22時だったり)だったので、キャンプ場で泊まったり「ライダーハウス」という簡易宿泊所に泊まりました。廃車になった客車を改造したり、プレハブ造りの簡素なもので、寝具は持ち込みです。私も最初の頃はそういう所に泊まってました。こんな感じです。
その後、ライダー達は社会人になって懐に余裕が出来(そのかわり時間の余裕はなくなり)、また、北海道を旅して歩いていた人の中から自分で宿をやりたいという人たちも出てきました。最初のうちは宿のチラシを作ってお互いの宿に置いたりしていたのですが、やがてそれが一冊のガイドブックになり、毎年発行されるようになったということです。それが「とほ」です。
※あくまでも私が旅人仲間から聞いた話をまとめたものです。ご了承ください。
4/27追記:北海道追分町のとほ宿「旅の轍」さんから情報をいただきました!
「とほ(Toho)」が最初に出たのが1986年。名前の由来は中国の詩人「杜甫」から来ていて、本来は「李白」が全国旅して飲み歩く所からだそうです。(私は「徒歩」が語源かと思ってました(^_^;) )そして1996年から、組織として「とほネットワーク旅人宿の会」になったとあります。
・旅の轍 https://tabi-no-wadachi.wixsite.com/wadachi
1992年版の中身はこんな感じです。当時はまだワープロも普及しきっていない時代で手書きが主流でしたが、今思えばそれがいい味を出してました。
「男女別相部屋」「少人数」「夜は旅人同士で交流」という以外には多分ルールは無かったと思います。食卓には宿主の手料理が並び、宿主さんや他のお客さんたちと朝まで飲み明かしたり、みんなで踊ったり、ギターで弾き語りをしたりと、それぞれの宿が強烈な個性を持っていました。旅行がメインで宿は休むための所、というよりは、宿そのものが旅行の目的だと言ってもいいくらいでした。
今でこそ「古民家の宿」がリスペクトされている時代ですが、当時はペンションのような綺麗な宿がメインストリームでした。しかし「とほ宿」のオーナーだった人たちは資金が無く、多くは普通の空き家を買ったり借りたりして宿にしていました。しかし、友だちの家に来たみたいで、それがまた旅情を醸していたのです。
その後、格安航空券で海外に行きやすくなり、ゲストハウスや民泊の宿が日本全国に出来て、インターネットで宿を簡単に探して比較検討できるようになりました。
ただ、当時のような「宿での滞在そのものを楽しむ」というコンセプトの「旅人宿」はそれほど多くないように思います。私も都会のゲストハウスに泊まることがありますが、旅人同士で話をすることはあまり多くありません。お互いプライバシーを守るという暗黙の了解のようなものがあるように思います。
「とほ」は今でも2年に1度冊子が発行されていますし、Webサイトもあります。
SNSで見知らぬ人同士が交流できる時代です。オンライン飲み会も出来ます。しかし一期一会、旅先で出会ったというだけの縁の人たちが、酒を飲み色んなことを語り明かす時間の価値というのは、2023年の今でも色褪せていないと思うのです。
私がやりたい宿というのは、こういう宿です。