当「ねこばやし」は、大野盆地の東の端にある「蕨生」という場所にあります。
「道の駅越前おおの荒島の郷」からは車で4分のところにあります!
3/19には、道の駅のそばに中部循環道 荒島インターチェンジができて、より便利になります!
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この土地の歴史を知りたくて県立図書館で本を借りてきました!
発行は昭和58年3月・・・今からちょうど40年前ですね。
このように最近注目される大野市蕨生地区ですが、この本によると、奈良時代・和銅六年頃より開かれた土地のようです。かなり歴史が古いですね。
勝山の平泉寺は、戦国時代には48社36堂6千坊を有した一大勢力であったそうですが、北谷3千坊は現在の平泉寺に、南谷3千坊は主に蕨生にかけてあったそうです。さぞ壮観だったことでしょう。
「ねこばやし」から「埴安姫神社」が見えるのですが、かつてこの地にあった「蕨生九社」(神明堂、観音堂、弥勤堂、白山堂、荒島堂、地蔵堂、薬師堂、熊野堂、弁財天)が明治42年に合併し、千古の老杉茂れる幽玄の地、旧地蔵堂の社地に社を立て、埴安姫を祭神と定め「埴安姫神社」となったたそうです。
この冊子、この地域の民話をまとめた箇所があります。
その中で、昭和4年生まれの城地輝治さんが書かれた「七面石」という話があります。
”蕨生から塚原にかけて、七つの大岩があった。それは経ヶ岳が噴火した時に飛んできたものだといわれている。
山伏岩=辯内という山伏が修行した大岩とその下で寝泊りした小岩がある。(城地出)
・・・(以下、七つの岩の由来)”
当宿の名前「ねこばやし」は、この「山伏岩」が「ねこばやし」と言われているのに因んだものです。(他にも、ねこ岩とか、トトロ岩とか色々言われているようです)
他にも、干ばつになったら荒島岳に雨乞いに行った話とか、天狗にさらわれた話とか、むかしは荒島岳の頂上に池があってサンショウウオが住んでいたとか、いろいろ想像力をかきたてる話が載っています。
それにしても、この本の中には「ネコの形をした岩」という表現は全く出てこないですね。そう言われるようになったのは、ごくごく最近のようです。